『いつもは聞き手ここでは独り言』

『生きる』をデザインしたい人間です。心理のこと・仕事転職のこと。そしてシングルマザー、ときどき絵とか。

離婚後もパパとママで子どもを育てる〜55

離婚後、週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。

離婚するときにそんな取り決めをして
7年たった今現在も進行中。

良いこと難しいことをこまごま書いてみてる。


ビリーフチェンジという
カウンセリング手法を学び、
自分自身も継続して
カウンセリングを受けている。

学んだあと、子育てに
どういう効果があったか?

沢山あるのでこれまでもポロポロと
書いているかもだけど、
まずは子どもたちに
感情的に怒ることがほとんど無くなった。

カッとなるのは、
大抵の場合、
子どもの頃の抑えてしまった感情を
処理できていないから。


これは、いつのどんな状況のものなのか?
と言うのがなかなか特定しづらいのだけど、
この感情は、昔の自分からのメッセージ。
とわかっているだけでも、
対処法が違ってくる。


例えば、私の例。
子どもたちが、
お願いした手伝いをしてくれていなかった時。

「お願いしてたでしょ!」

と怒りが爆発。

この時、私の中でうっすらとこんな言葉が
思い浮かんでいた。

「私がお前らくらいの頃は、
必死で親の手伝いをしとったのに!」

この『必死』と言うフレーズが
なかなかのヒントで。

その昔。
それをしないと、
家の中で居場所がなかった、とか。
何か親にとって都合の良い動きをしないと、
褒めてもらえなかったとか。
そもそも親の態度から察して、
家にいづらかった、とか。

そう言う子供の頃の生き方が
ほんのわずかのフレーズに溢れ出ている。

そうしない生き残れなかった、
子供の頃に作り上げたビリーフが
発動している。
と言う訳なんです。

でも、このビリーフ=思い込み。
解消する事できるので。

楽になってしまいます。



大人になった自分に
必要のない物は
手放すことが可能。

離婚後もパパとママで子どもを育てる〜54

離婚後、週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。

離婚するときにそんな取り決めをして
6年たった今現在も進行中。

良いこと難しいことをこまごま書いてみてる。

子どもたちがそれなりに大きくなって、
留守番も安心して任せられるようになった
今日この頃。

時差通勤で早くでる私と、
休校中の子どもたち。


子どもたちは、以前では考えられないほど、
家のことをスムーズにやってくれることが
増えた。

例えば、バタバタと出勤する時の
洗濯物。
ゴミ出し。
食べたものの洗い物。
時々、自炊するなど。

これを当たり前ととらえず、
ひとつひとつに丁寧に
「ありがとう」「助かる!」「うれしい」
言葉に出す。

思うに、休校が続いて、
子どもたちも体力的、精神的に、
余裕があるんじゃないかな、
と思う。

子どもだからといって、
疲れない訳がない。

子どもたちなりのキャパ、
精一杯日々をすごしていたら、
家では寛ぎたいと思うのは当然。

大人のわたしは、
それはそれは、大変なことも多くて、
特に子どもたちの責任を背負ってて、
それでも、外でも家でも
やる事が山ほどあって。

けれど、私は大人だから。
セルフケアの方法も学んでいるし、
いろいろな感情は自分で感じて対処して、
自己管理するお金を少しだけ自分に使って、
大変な日々で疲れ切った心身を
自分で癒す方法を勉強したり
人の手を借りたりして、
毎日を乗り越える。

子どもたちには、
そういう術も手段もお金もないから、
家での安心安全の場所で、
親を頼りに癒してゆくしかないのだと思う。

離婚後もパパとママで子どもを育てる〜53

離婚後、週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。

離婚するときにそんな取り決めをして
6年たった今現在も進行中。

良いこと難しいことをこまごま書いてみてる。

新型コロナウィルスの影響で、
派遣先で時差通勤が始まった。

希望の時間帯が六パターンほどあり、
その中から自由に選べるという、
まあまあ、柔軟性のある対応。

派遣といえど例外でなく、
わたしは迷わず、
1時間早く始まり、同じ時間早く就業できる時間帯を選択。

これが、まあ、びっくりするほど快適。

朝は少し早いけれども、
帰りが明るいうちに帰宅できる。

もちろん自分の時間も増えるし、
足りないものを買い足しに行けるし。

そしてなにより、
子どもたちとの時間が増える。
一時間でこうも違うものかと、
びっくりする。

もう少し、
子どもたちが小さいうちから、
こうやって時間を過ごすことができたらなぁと、すこししんみり。


仕事の波と、自分の心の成熟度と、
子どもの成長の時期を
自由に合わせることができるのなら、
それは素晴らしい事だと思う。

だから、自由な働き方ってすごく重要。

最近、特に強く思う今日この頃。

後味がモヤモヤする時間なのに、続けてしまうワケ

元彼と月1〜2回ご飯に行く関係が
ずっと続いていた。

元彼…というか、
いつの間にか関係が終わった…
という感じの相手。

いつの間にか、
彼の中で友人仲間の一人になった、
という感じ。

こちらに恋心が無くなったか…
というと分からなかった。


今考えると、
そのモヤモヤは愛着であり、
依存的なものだったかなぁとわかるのだけど。

その事に気づいた、
ビリーフの変化をメモっておく。


ご飯の時のいつもの会話。
「最近忙しい?」
彼からの質問から始まり、
「ん、まあぼちぼち」
と答えて、あとは全て彼の考察の一人舞台。

ひたすら、
世の中の流れ、だとか
陰謀説、だとか
世の中のオカシイさ、だとか。

私も聞き下手ではないので、
ひたすらうんうん、そうだねー、
と聞いて2〜3時間。

食事の場での時間が終わり、
バイバイと別れたあとは、
なんとも言えない
すごい虚しさが広がる。

そして、ああやっぱり…
というがっかり感。

でも、直ぐに寂しくなり、
今度はちがうかも。
わたしの話をちょっとでも聞いてくれるかも。
前みたいにイイ感じになるかも。

そう思うと、次回の誘いにものってしまい、
同じ事の繰り返し。

そんな事を毎回していた。


そのうち、私の仕事が忙しくなり、
タイミングよ合わず、
誘いをなんどか断るうちに、
ご飯にもいかなくなった。
ほぼ毎日、挨拶がわりに
やり取りしていたLINEも途絶えた。


ここに来て、私の中でどんな事がおこったか?

ふとあるごとに、
いや〜な気持ちを感じる、
という状態になった。
でも、こちらからは誘わない。
同じ事になるのは知っていたから。


そこで、これは自分の中で
何がおこってるんだろう?って
グルグルと考えてみた。

すると…


ああっ!って。


小さい頃の自分。
母の話を、愚痴を、
ひたすらうんうんって聞いてたわ!

聞いてい、面白くない、
辛くなる話を延々と。

ああ、母ちゃんは
こういう事をされると、こう思うんだ。
こういう行動すると
母ちゃんから嫌われるんだ。

そういう事を延々と。

私からはほとんど話さない。


子どもが大人を気遣って、
バランスをとっていた。


そういうことかー…

母ちゃんに見捨てられたくない、
母ちゃんと一緒にいたい、
家の中での居場所が欲しい、
母ちゃんの機嫌をとらないと、

そういう気持ちで、
自分が快感と思わえない時間でも、
相手への愛着だけで過ごしていた。



その時間とすごくかぶっていた。

ああ〜、納得…


そこで、セルフセッション。


その事に気づき、腑に落ちたら、
不思議と元彼との食事の時間に
こだわる気持ちが、スーッと消えた。


親しい人との関係を失ったような、
寂しさは少し有るけれども。


自分が快と感じない状況にこだわり続ける、
考えるのがやめられない…

その心には、
何か、昔は生きるために必要だった、
だけどいまは要らなくなった、
大人の自分には必要のないビリーフが
動いているのかもしれない。

離婚後もパパとママで子どもを育てる〜

離婚後、週の数日は、ママの家ですごす。
残りの数日は、パパの家ですごす。

離婚するときにそんな取り決めをして
6年たった今現在も進行中。

良いこと難しいことをこまごま書いてみてる。

ほぼ毎年、クリスマスパーティーをする。

何処でか?
というと、これまた少し驚かれるけれども、
元夫の実家。

もちろん、
子どもたちと私、
元夫のご両親と、
元夫、その妹さんご家族。

食事をして、
ケーキを食べて、
写真を撮って…

離婚して1年以内の頃は、
ビリーフがガンガン働いていて。

クリスマスに子どもたちを
母親と離して過ごさせるなんて!
とか。
自分たちでだけ楽しく過ごして!
とか。
どうせ私なんて!
とか。


こうすべき、という思考。
感情を押し殺す。
(そもそも自分の心に気づいていない。)
自分を大切に出来ない。

などなど…。
色んな気持ちを押し殺ししすぎて
しんどかったことを
毎年思い出します。


それが今や。



人は、変わろうとと決意すれば
いつからでも変われるものです。

こんな面接官に当たってしまいました。

数年前に、
グラフィックデザイナーから、
キャリアチェンジをしたくて、
面接を受け続けた事がある。

チェンジ先は、
相談業務関係の仕事。

希望は、医療関係や就職関係、教育関係。

とにかく、
未経験OK、資格は問わず。
を探し、年齢には目をつぶり、
色々なところに書類を出してみた。

その中で、
「これはないわー!」
っという面接官に当たった話を。

その仕事は、
障がい者雇用をお手伝いする仕事で、
就職を希望する方のサポートをする、
というような仕事だった。

面接の場にて。
相手は2人。男性。

面接官(以下、面:)今までと全く違う仕事だよね?どうして希望したの?

私:大学では心理学を学んだが、就職ではやりたい事が2つあり、デザイナーとカウンセラーで迷った。
結局、20代からこれまではデザイナーの仕事を選んだ。
ある出来事がきっかけとなり、今後は、人よりも多い転職の経験と障がい者と接する機会の多かった経験を生かしてキャリアチェンジをしたい。

面:僕は国が認めている唯一の心理系の国家資格をもっていて、大卒から20年近くこの仕事に従事していてね…

私:…

面:そんなにカウンセラーやりたいんなら、ボランティアでやればいいじゃない。
なんとかの電話とか。
そういうのには、応募しないの?

私:子育て、仕事、家事、他色々とやらなくてはいけない事も多いので…
正直、いまは自分の時間を、可能な限りお金を稼ぐことや子どものことに使いたい。
特に今後の子どもの教育費がかかることを考えると、稼がないといけないので…

面:ふーん…。
大学出てから心理学から離れてたんでしょ?

私:いえ。
自分がピンときた、民間や個人で行なっているセミナーや講座への参加などで、常に、勉強しています。

面:…僕、そういう巷に溢れる心理学セミナーや資格取得のための講座とか…
うさんくさいと思ってるんだよね。

私:…



ああ、
こういう人もカウンセラーにいるのね。
と思った時間。

結局、この面接では次にいかなかったけど、
正直、ほっとした。


その後の話。
それから数年たっても、
毎年毎回途切れることなく、
この企業で同じような仕事が常に募集されているところを見ると…
(自分が同じ仕事内容で
検索していたりするので…)

多分、人の出入りが激しい、
ブラックに近い環境なんだろうなぁと、
推測できるわけです。

その後の採用の場での面接官が
同じ人とは限らないけど、
立場の弱い
(と相手が思っている事が透けて見える)
相手にマウントし、
ああこの人と同じ職場では働きたくないな…
と思ってしまうような人を
面接官を担当させる。



面接を担当するという事は、
その企業の顔、という事。

面接の時の話は、
そして、受かった後のその企業での様子など、
それこそたくさんあるので…

これからちょくちょく書いてゆこう。

子どもの応援をしているとモヤモヤする件について

スポーツやイベントなどで、子どものが活躍したりしなかったりで、もやもやしていた。

子どもは子ども。
私は私。

もやもやするのは、過去の私が、
親に認められない悲しさや寂しさ、
そこからくる怒りに気づき、
充分に感じ切っていないからなのかもしれない。


そのもやもやが、
自分のビリーフからきていたんだろうなぁ、
と過去ののように思うまで、
もうしばらくかかりそう。